ウパニシャッド④ケーナウパニシャッド

ケーナウパニシャッド

第1章

香りにも音にも目に見えるものにも普遍の存在ブランマンは宿る。が、ブランマンは音や瞑想、香りの対象にはならない。しかし、あなたがかぐあらゆる香りに存在する。どんな音にも広がり、音を存在させる。あなたが見るすべての光景に広がる。この存在によってあなたは知覚することができる。生物は意識の源に生かされている。それは生命の根源であり、すべてを可能にするあなた本来の姿である。

世界の根源は形に閉じ込められることなく、いつも自由で永遠に広がる。不変の存在はまさにあなたがふれ感じるすべての経験に、あなたの中に命の根源として宿る。

(ちょっとわかったような気がした。知覚ができないっていうのが面白い)

 

第2章

自分を知ることは苦悩と束縛を解放する唯一の方法。生物に宿る生命の根源を知り、生きるということの意味を知る。命の源を知る人は体、感覚、心のとらわれからも輪廻からも完全に開放される。

苦悩や限界は心が作る考えであり、体や感覚は生きるための道具。本来の自分とは何からも制限されない意識の源。この自分を知れば、人は今この世界を生きながら自由である自分にあり続けることができる。

 

第3章

神様のストーリー

 

第4章

人は何かを認識するとき、ものを直接理解するのではなく心に映る考えを見ることによって物事を認識する。不変の存在ブランマンについても、何度も教えを聞くことで、教えを映した考えを何度も見る瞑想によって、深い理解が可能になる。形なき存在であっても何度も考え理解することでゆるぎない知恵となる。

 

自然の摂理(イーシュバラ)を理解し瞑想することで真実の知恵は人を苦悩から自由に解放する力を発揮する。

 

普遍の存在は、世界を支え、複雑に絡み合いながらダイナミックに動く世界そのものイーシュバラであること。ここまで深く真理を理解することで聖典のことばは人を束縛から自由にする知恵となる。

 

完璧な理解にいたるまでに何度も教えを開き、考え、毎日の生活を規律正しく整え、自分のなすべきことをし、自然の摂理に調和した生き方を淡々と続けること。特別な行も体験も必要ない。自分を追い求めてどこかに行く必要もない。

(ではどうすればいいんだ?瞑想?)

 

心を傷つけることなく他人を邪魔することなく抗うことなく、あるがままを受け止める心が養われたときあなたは自分が何者であるかを知る。その事実に寛ぐとき自由はそこにあるのですから。

 

自然に調和する生き方と、正しい知恵を深く考え、理解することだけがすべて。

(正しい知恵ってなんだ??)

 

いまあなたの目の前にいる人が、会うべき人。今あなたの目の前で起こっていることがまさにいまなすべきこと。どんな状況にもあらがうことなく逃げずあきらめず摂理がめぐらす法則に調和するように毎日を正しく生きる。

 

ありのままの世界を丸ごとうけとめ、目の前に起きていることから真摯に学ぶ。奇をてらわず毎日の小さなことから、大きな出来事まで、あなた自身できちんと感じ、学びに変える生き方をする。それだけが本当の自分を知る心の準備となる。

 

苦しいとき悲しいときは悩みを大きな力に開放し、心の奥から解き放つように祈ってみるのもよい。心にいつも自由な風を吹かせるように。1人で抱え込まず大きな自然を味方につけるとよい。

 

あなたがあなたを知るには今を大事に生きるしかない。

 

終わりの祈り

(オーム:すべての音、形、自然を象徴する聖音。知らなかった!)

冴えた知性と澄んだ心、人間的な成熟がありますように。