(読書)理解度低め ブッダの言葉
漫画で簡潔には書いてあるけど、「こうすればよい」という実践の部分が抽象的で、なぜ皆がこれで納得いくのか腑に落ちない。理解できたのは下記のみ。
- 中道の意味
ミルクがゆ飲んで苦行辞めて決めたブッタ。
「快楽でも苦行でもない中道」と悟る。
→苦行じゃないのか、修行は。。それならできそう。
- 苦しみを取り除くには
四苦八苦(人間が避けることのできない8つの苦)は下記の8つ
・生まれることの苦しみ
・老いる苦しみ
・病になる苦しみ
・死ぬことの苦しみ
・愛する人と別れる苦しみ
・恨み憎しみのある人と会う苦しみ
・求めても手に入らない苦しみ
・思い通りにならない苦しみ
これらに対して、まずはこの世は苦に満ち、苦しみの人生を歩んでいると認識し、その苦しみの原因を知り、そしてその原因を取り除く修行法があると知ることが大事。
- 苦を取り除くまでの4つのプロセス
苦諦(この世は苦に満ちた世界という真理)
集諦(苦しみには様々な原因があるという真理)
滅諦(苦の原因を滅すれば苦から解放されるという真理)
道諦(苦の原因を滅する方法があるという真理)
→苦の原因を滅する正しい修行法が八正道
八正道が「そりゃそうだろ、その中身を聞いてんだよ」的な説明しかなく残念。
(読書)夕日がきれいでも、あなたが見ていなければ夕日はない。 バタ足ノンデュアリティ
ノンデュアリティって難しいけど、この本だとなんとなくわかるような、、私なりの理解。
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私が見ている以外のものはない
事実は、その瞬間には1つしかない。そしてただ完璧に起きている。
手の甲を見たとき、手のひらは見ることができない。手の甲を見た瞬間は、手の甲の事実があるだけで、手のひらは世界のどこにもない。
ハワイにいるときはハワイにいるように楽しむ。そこには日本はない。
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「私が決めた」はない
思考もすべて、起きるべくして起きている。自分の意志は関係なく、自動で起こる。
「自分が経済的に大変なのは5年前にあんな決断をしてしまったからだ」という後悔があったとする。でも実際は違う。「あんな決断」などしていない。すべてはただ起きた。そして変えることのできないものだった。選択肢はほかにあったかもしれないが、それを選べない条件が完璧に設定されていた。
物事には原因がないわけではない。が、物事は複雑で、人間が変えられるような原因ではない。
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「あなた以外の誰か」はない
自分以外の人があなたに対して怒っているとき、その人を「自分以外の誰か」だと考えるのが二元性。ノンデュアリティとはこの二元性を越える考え方で、事実は「あなたに対して怒っている人が、あなたに映り込んでいる」ととらえるもの。全部があなたの五感と思考がとらえた感覚であり、すべてはあなたの感覚によって存在できている。事実はあなたの中にある。
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「この瞬間以外のもの」はない
「30分ずっと待っている」は30分待っているという記憶があるだけ。事実は「この瞬間」待っている。
なんにもしなくても、すべてが自然に起きている。
私たちは徹底的に受け身であり、それが心地よい。
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自分はない
気づきを邪魔する「自分」や、執着する「エゴ」は、ない。
それは全体の世界の表れである。
思考も感情もただ湧き上がってくるもの。自分はドーナッツの穴みたいなもの。
ノンデュアリティに触れるとは、お茶を飲んだらお茶の味がわかるということ。今この瞬間に浸るということ。
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目的をなくす
「目的」をなくしてみると気軽になる。
「出かける」から目的をなくすと「歩く」だけになる。
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何をやってもいい
すべては自動で起きていて、選択することはできない。
だから逆に言うと、何をやってもいい。何もしなくてももちろんいい
何かやってみたいのは「何かやってみたい」が現れているから。
何もしたくないのも、それが現れているから。
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ゆだねる。不安は出していく
事実はどんどん現れては消えていく。それに身を預けると楽になる。
不安は出てきてもいい。不安をどうにかしようとするとうまくいかない。
全体は勝手に進んでいく。何か考えたところで太刀打ちできるような世界に私たちは住んでいない。そこは腹をくくる。
(映画)援助より貿易 美味しいコーヒーの真実
コーヒー農家の給料は、ニューヨークの市場で、農家とは全く無関係に決められる。
アフリカのコーヒー農家がコーヒー豆1キロに対して得られるのは50ブル。豆1キロから得られるコーヒーは230米ドル(2000ブル)にもかかわらず。
WTOの交渉の場でアフリカがフェアに交渉できる場は用意されていない。クローズドで、欧米が大多数を占める会議で、貿易のことは決められる。
援助では到底まかなえない。大事なのは正当な貿易であるということが、この映画を見てよくわかった。
(読書)いい波が来たら乗ってみる 仕事にしばられない生き方
子供ができたことが、がんばるきっかけになる。
どこにも帰属できなくたってやっていける。
失敗してよかったと思うのは、簡単に人のことを見くびったりバカにしたりできなくなること。
なぜ自分だけ?と問いかけずにいられない、その孤独こそが、その先の生き方を考える起点になる。
生産性のないにんげんには価値がないという人たちは、自分だけが勝ち残れるとなぜ言い切れるのか。弱肉強食というが、動物のほうがよほどすみわけ、分かち合い、譲り合って生きている。
感想
仕事うまくいってない旦那さんを辛抱して見守るマリさん素敵
(読書)体を信じることがすべて やわらかな言葉と心のレッスン
- 人は自分の見たいようにしか見ることができない。
何かを見ているときというのは、それを見ているのではなくそれと自分との関係を見ている。
- 言いたいことが言えない心理
言いたくても言えなかった体験の積み重ねが、いつしか、「言いたいことは言わない」ことで状況をコントロールするようになる。あるいは笑みでコントロールするようになる。
- 弱者を許せない心理
社会が示す正しさに合わせて生きることを人生だと取り違えてしまうと、そこから外れた生き方がカオスに見えてしまい、許せなくなる。順調ではない人生や運命に翻弄させられている人の不条理さ、弱さを見ることで傷ついてしまう感受性の在り方がある。だから弱者を許せないという怒りが生まれもする。
→右派も左派も、自分を大事にしてほしいという気持ちは同じな気がする。弱者として主張するのか、強者として主張するのかの違い。だから絶対に分かり合えない。
- 独自の思考に知識や情報のパワーは必要ではない。
僕らは僕ら自身の存在として、知識や慣習と無縁に動くことができ、安定して生きていくことができる。自分の体が実は軽やかであると知るとき、他者の評価を恐れた状態で考えるといった枠組みから離れられるはず。恐怖と無縁になるとき、独自の思考が生み出せる。
(読書)猟師は奥が深い 熊撃ちの女
- 熊撃ちに定石はない
個体によって性格は違うから、経験で決めつけず、その場その場で判断するしかない。
人も同じ。人はこうする、と常套手段をつかう相手には、瞬時の的確な判断が成果に繋がる。
→経験よりも身体感覚が大事なんだなというのは、尹雄大さんの話と似てる。