(読書)夕日がきれいでも、あなたが見ていなければ夕日はない。 バタ足ノンデュアリティ

 

ノンデュアリティって難しいけど、この本だとなんとなくわかるような、、私なりの理解。

 

  • 私が見ている以外のものはない

事実は、その瞬間には1つしかない。そしてただ完璧に起きている。

 

手の甲を見たとき、手のひらは見ることができない。手の甲を見た瞬間は、手の甲の事実があるだけで、手のひらは世界のどこにもない。

ハワイにいるときはハワイにいるように楽しむ。そこには日本はない。

 

  • 「私が決めた」はない

思考もすべて、起きるべくして起きている。自分の意志は関係なく、自動で起こる。

 

「自分が経済的に大変なのは5年前にあんな決断をしてしまったからだ」という後悔があったとする。でも実際は違う。「あんな決断」などしていない。すべてはただ起きた。そして変えることのできないものだった。選択肢はほかにあったかもしれないが、それを選べない条件が完璧に設定されていた。

 

物事には原因がないわけではない。が、物事は複雑で、人間が変えられるような原因ではない。

 

  • 「あなた以外の誰か」はない

自分以外の人があなたに対して怒っているとき、その人を「自分以外の誰か」だと考えるのが二元性。ノンデュアリティとはこの二元性を越える考え方で、事実は「あなたに対して怒っている人が、あなたに映り込んでいる」ととらえるもの。全部があなたの五感と思考がとらえた感覚であり、すべてはあなたの感覚によって存在できている。事実はあなたの中にある。

 

  • 「この瞬間以外のもの」はない

「30分ずっと待っている」は30分待っているという記憶があるだけ。事実は「この瞬間」待っている。

 

なんにもしなくても、すべてが自然に起きている。

私たちは徹底的に受け身であり、それが心地よい。

 

  • 自分はない

気づきを邪魔する「自分」や、執着する「エゴ」は、ない。

それは全体の世界の表れである。

思考も感情もただ湧き上がってくるもの。自分はドーナッツの穴みたいなもの。

 

ノンデュアリティに触れるとは、お茶を飲んだらお茶の味がわかるということ。今この瞬間に浸るということ。

 

  • 目的をなくす

「目的」をなくしてみると気軽になる。

「出かける」から目的をなくすと「歩く」だけになる。

 

  • 何をやってもいい

すべては自動で起きていて、選択することはできない。

だから逆に言うと、何をやってもいい。何もしなくてももちろんいい

何かやってみたいのは「何かやってみたい」が現れているから。

何もしたくないのも、それが現れているから。

 

  • ゆだねる。不安は出していく

事実はどんどん現れては消えていく。それに身を預けると楽になる。

不安は出てきてもいい。不安をどうにかしようとするとうまくいかない。

全体は勝手に進んでいく。何か考えたところで太刀打ちできるような世界に私たちは住んでいない。そこは腹をくくる。