(読書)自分、この不思議な存在

 

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

 

 

誰かを愛するのはその人の見た目や過去の記憶のためであってその人自信ではない。だが、誰かを愛せるのもその人の借り物の性質ゆえであるbyパンセ
→借り物がなかったら愛せないのか!でも確かにそうだ。自分もそう。相手に求めるのはおかしいなと思った

 

自分というものはなく、自分以外のものによって自分が決められているのではないか。

自分を自分で明確にしようとすると逆に自分が見えなくなってしまう。自分でないものを明確にすることによって逆に自分の輪郭をはっきりさせようという、やりかたもある。
→自分の境界をつくる、がよくわからない。それができれば自分ができるような気がするけど、、HSPでもこの話あったなぁ

 

大人になったらなにになりたい?の問いは、それに答えられない大人の心の裏返し。なぜ自分でない誰かになろうとするのか、いまの自分ではダメなのか。
→同意!ホリエモンも言ってた。なりたいなら今ならなきゃだめ。

 

「成熟というものは、同一であることを願う人にしか訪れない」
→明確すぎてぐぅの音もでない!全然成熟できてない私。何にでも為ろうとすることからの脱却が必要。

 

母親と息子の会話。母親が息子の感情を否定することで息子は自分を失い、母親の分身になる。
→自分の境界がなくなるってそういうことか!変な人が寄ってくるのも、変な人の分身になってるからかもしれない。人に合わせすぎの悪い面。

 

自分らしさを求めて人は悩むが、そんなものはない。あればそもそもそんな問いに囚われるはずがない。自分がここにいるという感覚の中に身を置くためには、眼を外に向けて、自分は誰にとってかけがえがないかを考えてみた方が良い。私とは、他者の他者である。他者にとって意味ある他者たりえているかが、私たちがじぶんというものを感じられるかどうかを決める。母親に「この子とは反りが合いません」と言わせたら勝ち。
→いまは会社で全然意味のある存在になれてない。やはりここは違う、けど仕事はがんばろう。まずは好き勝手やったらいいのかも。

 

ボランティアでいうところの「ポジティブな受け身」。いまどこで何が必要とされているのか、呼び求めに応じて動くという沈着さ。
→私を求めてくれるところを探さなきゃいけないと思う。近くにあるかもしれないし、遠くかもしれないけど。自我を控えること必要

 

わたし とは、自分に語って聞かせるストーリーである。わたしは誰?という問いに答えはない。自分に固有なものはない。ある他者にとって他者のひとりでありえているという、そうしたありかたのなかに、人はかろうじて自分の存在を見いだすことができる。

 

他者の他者であるとは、他者に身を捧げる自己放棄とは異なる。(他者に身を捧げるとは、他者を自分のなかに持つこと。自分の中の他人に自分を捧げるのは自己愛にすぎない。)他者の中に自分が意味のある場所を占めているかにかかわっている
→わたしのしてたこと自己愛なのかも。うーん、でもわからない、他者の他者になること。私が影響を与える何かって、あるんだろうか?