(読書)モモ

 

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 

カシオペイア(カメ)の好きな言葉
「サキノコトハワカリマス アトノコトハカンガエマセン!」

 

印象に残ったこと1.矯正される子供たち


子どもたちは、ほかのあることをわすれてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。 しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。そしてじぶんたちのすきなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。
→私の子供のころのリアル体験もそうだったかも。瞑想は、それが大人になってもできる数少ない経験な気がする。

 

印象に残ったこと2.マイスター・ホラのことば


「時間の花をおぼえているね?・・人間はひとりひとりがああいう金色の時間の殿堂をもっている、それは人間が心をもっているからだって。ところが人間がそのなかに灰色の男を入りこませてしまうと、やつらはそこから時間の花をどんどんうばうようになるのだ。」
→エネルギーも同じ。自分の中に入り込ませたらいけないのか!考えてみたら、エネルギーと一緒に時間も取られているかもしれない。

 

「生きた時間では、灰色の男たちのからだには合わない。だから葉巻に火をつけて、ふかすのだ。なぜというに、こうやってけむりになってはじめて、時間はほんとうに完全に死ぬからだ。そしてこういう人間の死んだ時間で、やつらはいのちをつないでいるのだよ。」
→エネルギーもスパスパ吸ってるやつがいるのかもしれないなあ・・

 

印象に残ったこと3.灰色の煙が混ざってしまった時間を人が受け取るとどうなるか


「気分はますますゆううつになり、心のなかはますますからっぽになり、じぶんにたいしても、世のなかにたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそなにも感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世のなかはすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心のなかはひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。そう、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。」
→感情が死んでる。うつ状態と同じ。昔にもあったことにびっくり!致死的退屈症、東京に来るまでずっと感染していた気がする。森に行くようになって心取り戻した。自然って大事だ!

 

印象に残ったこと4.モモの設定について


「主人公のモモは、年齢も素姓もわからない浮浪児です。ほんらい、現代のように完全に組織されてしまった社会は、浮浪児というものの存在を許しません。ですからここではモモは、管理された文明社会のわくの中にまだ組みこまれていない人間、現代人が失ってしまったものをまだゆたかに持っている自然のままの人間の、いわばシンボルのような子どもなのです。あいての話をじっと聞くことによって、その人にじぶんじしんを取りもどさせることのできるというふしぎな能力、宇宙の音楽をききとり、星々の声に耳をかたむけることのできる能力を持ったモモは、人間に生きることのほんとうの意味をふたたびさとらせるために、この世に送られてきたのでしょう。」
→現代では許されない異端児が人間に生きることの本当の意味を教えてくれるって素晴らしい!共感!