大切なものほどいつか必ず失う、なんていうのは嘘である

ほしいものを手に入れないのは、失うのが怖いからだ。

 

トラウマと言ってもいいのかもしれないが、大事な人や物はどこかに行ってしまう、というジンクスが私にはある。青春のころ大好きだった先生2人は、ある日突然リストラされていたし、職場の尊敬する同期は何人も転職していった。尊敬する上司は左遷された。仲良しの友達は駐在で海外に行ってしまう。恋愛は遠距離にばかりなる。大事なモノもそうだ。お気に入りのグラス、ギア付き自転車、などなど思い出せばきりがない。

 

だから、いつの間にか失わないようにするようになった。自転車は取られるから買わない。お気に入りの家具なんてもってのほかだ。どれだけ好きな服でも、白だったら買わない。上京したけどいつ帰るかわからないし、友達もほどほどにしたい、だって別れたくないから。恋愛相手は慎重に選びたい。裏切らない人でないと安心して恋もできない。

 

失わないようにするのも結構つらいけど、私はそれ以上に、執着していないふりをすることも上達させた。部屋に愛着を持ちたくないからレイアウトはほどほど。ちょっとでも要らない物や服は結構すぐ捨てるし、別れた恋人はブロックする。ぜんぜん悲しくないもんそんなの!みたいなふりをしているのが我ながら結構得意だった。悲しいことや辛いことは、私の人生にあってはいけないと思っていた。

 

でも人生そんなにうまくもいかないもので、絶対裏切らないだろうと思っていた彼から、唐突に別れを切り出された。それも、新宿の臭くて汚いチェーン系カフェで、唐突に。ああやっぱり、私の大事なものはぜんぶどこかに行ってしまうんだなぁ、と思った。全然立ち直れなかった。

 

そしてそこでふと気づく。悲しい気持ちや辛い気持ちを認めないことはできるけれど、それは耐え続けられるようなものではないのだと。そもそも私たちの外の世界は絶対に変わっていくものだから、私から絶対に離れていかないものなどない。でも悲しみや怒りはずっと私につきまとってくる。私の心は、どれだけ追い払おうとしても私から離れていくことができないのだ。

 

私はずっと私の心から離れようとして生きてしまっていた。私の感情という大事なものをないがしろにしていた。でもこの私自身だけは、絶対に私から離れない。大事なものは、離れていかない。離れていく心配はもうしなくていい。だからまず、悲しみも喜びも置き去りにしないで、一緒に迎え入れて認めてあげよう。まだその修行の途中である。